スンシンのプロフィールと自分史

スンシンのプロフィール

スンシン

夢クリエイター スンシン

1995年生まれ。在日韓国人。岡山県出身、岡山県在住。双子として生まれる。学生時代は、学級委員、生徒会、サッカー部副キャプテンなど、中心的な役割を任され続けた「ザ・優等生」として育つ。

嫌なこと、苦手なこと、辛いことを任されても自分の感情を押し殺し、先生や周りの期待に応え続けた。高校卒業後、社会勉強になるだろうと、なんとなく地元の信用組合へ入社。

自分自身の体と精神を削りながら、会社と顧客の期待に応え続けることに違和感を覚え、6年後に退職。その間、自分の人生の答えを見つけるために、ネットで気になったものを片っ端から体験した。

その後、プログラミングを勉強するも挫折。転職活動も失敗。自分を一から見つめ直そうと思ったことがきっかけでライフコーチングに出会い、「自分の外側に人生の答えはない」ということに気づく。

人生の基準を「まずは自分を満たすこと」に変え、ライフコーチとして活動を開始。

好きなこと、ライフスタイル

3つ年下の彼女がいます。付き合い始めて1年6ヶ月になります。

実家暮らしです。両親、姉、弟と5人で暮らしています。

商業施設でクレジットカード受付のアルバイトをしながらライフコーチとして活動しています。

ゲームが大好きです。ゲームボーイ〜PS5まで、ゲームと共に育ちました。2022年1月発売予定のELDEN RING(エルデンリング)が楽しみです。

人が好きです。

アニメが好きです。

筋トレが好きです。

ハスキー犬が好きです。

嫌いなこと

指示、命令が嫌いです。

パクチーとアボガドが嫌いです。

ダラダラと長い飲み会が嫌いです。

バーベキューに出てくる鳥もも肉が嫌いです。

ゲーム中にイライラする人が嫌いです。

価値観を押し付けてくる人が嫌いです。

自分は完成されと思い込み、成長しようとしない人が嫌いです。

足の長いクモが嫌いです。小さいのは大丈夫。

SNS

Twitter

日常や気づいた事などを呟きます。

 

勉強したことのアウトプットにも利用しています。

 

リプライなども気軽にどうぞ。

 

 

Instagram

画像と動画で日常を発信しています。

 

Twitterよりもプライベート感を感じられると思います。

 

主にストーリーズを投稿しています。

 

 

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気軽にLINEでやり取りが出来ます

 

コーチングの申し込み、質問や相談などを受け付けています。

 

その他SNSのDMでも相談が可能です。

 

 

スンシンの自分史

幼少期〜幼稚園

1995年8月26日。岡山県生まれ。4人兄弟。二卵性双生児として生まれる。2歳から幼稚園に預けられた。先生はとても厳しかったので、毎日幼稚園に行くのが嫌だった。

ある日、弟が自分で漏らしたうんこで汚れたパンツを洗わされているのを見て、幼いながら可哀想だなと思った記憶がある。厳しい環境だったのでこの頃から、「先生の言う事やルールは守るべきもの」という考えが刷り込まれたのだと思う。

幼稚園の頃からゲームボーイで遊んでいた。遊び方などは知らないが、兄の真似をしながら遊んでいた。はじめて遊んだゲームは「ポケットモンスター緑」。ピジョットのゴットバードがお気に入りの技だった。

ゲームとの付き合いはこの頃から始まり、25歳になった今でもゲームを楽しんでる。

小学校低学年

1年生の頃から僕のクラスは「大人しくて良い子が集まったクラス」という評判で学校内に広まった。幼稚園の頃から厳しく育てられたので、先生の言う事はちゃんと聞くし勉強も頑張った。先生に言われた事や学校のルールはちゃんと守った。それが当たり前になっていた。

算数が一番得意で、その他の科目もそれなりにできた。勉強ができたのは、幼稚園から遊んだ遊戯王のおかげだと思っている。ライフポイントの計算は足し算と引き算を教えてくれた。カードに書いてある内容は自然と記憶していたので、そのおかげか記憶力もよかった。遊戯王ありがとう。

クラスは9人しかおらず、2年生の時には唯一の男友達が引っ越していなくなったので、双子の弟が唯一の男友達となった。

家でも弟と遊び、学校でも弟と遊んでいたのでずっと一緒にいた。双子じゃなかったら学校では男子一人だったので、双子でよかったと思っている。双子に産んでくれてありがとう。

小学校高学年

4年生になると部活に入ることが学校の決まりだった。男子はサッカー部しかないので強制的にサッカー部に入部。サッカーはやりたくなかったが、学校の決まりでもあり、真面目だった僕は当たり前のようにそれを受け入れた。

この頃から縦社会を学んだ。部活の雑用は4年生が全て担当する決まりだった。僕のクラスは僕と弟の二人しかいなかったが、ルールや決まりを守ることが当たり前だったので二人で頑張った。

部活が始まる前までに運動場のトンボを全面にかける必要があったので、休み時間をほとんど使って二人でトンボをしていたのが一番しんどかった記憶だ。

このしんどい時期を乗り越えられたのは双子の弟がいたからこそだ。二人で愚痴をこぼしながら励まし合いながら乗り越えてきた。この経験から、双子の絆がさらに強くなったと同時に先輩という存在が嫌いになった。ルールや決まりに疑問を持つようになったのもこの頃からだ。

僕が6年生の年は後輩の男子が少なく、サッカー部は6人。試合もできないので、練習だけするというなんとも残念な経験をした。

中学校

中学校に上がっても部活はサッカーしかないので、4年生の時と同じメンバーでサッカーをした。もちろん雑用は僕と弟の二人だけ。

サッカーはどちらかと言うと下手だったので、指摘されることや怒られることが多かった。そこに雑用が重なって、どんどんサッカーが嫌いになっていった。

中3になった時のメンバーはもちろん6人。小学校から中学校まで雑用はするが、一番楽しいはずの小6と中3で試合ができない環境だったので寂しい思いをした。

ルールや決まりに疑問は持っていたが、僕はバカ真面目だったので、その頃はサッカーをしないという選択肢がなかった。

「部活はやらなきゃいけないことだからやる。」「部活をしなかった人は今までいないからやる」

この頃から「先生や学校が期待する答えが自分の答え」になっていた。

なぜサッカーをしているのかを考えたことはあったが、自分の答えは先生が期待する答えではなかったので深くは考えなかった。サッカー部に入りサッカーをすることが学校で決まっているからする。学校のルールは守るべきもの。だから嫌いでも苦手でもサッカーをする。

学校に関することで、中学校まで自分の意思で何かを選んだ事はほとんどなかった。

このような幼稚園から中学までの経験から、先生や学校のルールといったものが答えとしてあり、その答えに向かうことが自分の人生になっていたし、自分が見る世界になっていた。

当時はそれが当たり前になっていたし、疑問があってもどうこうしたいと思う事もなく、思ったとしても変えられないものだと感じていた。

高校

高校に進学して、ほぼ初めての男友達ができる。広島の高校だったので3年間寮生活を過ごした。部活も複数あり、自分で選ぶ事ができた。僕はサッカーは嫌いだったので他の部活を考えていたが、初めてできた男友達でサッカー部に入る子が多かったのでサッカー部に入ることにした。

友達とサッカーをするとどんな気持ちになるのか興味があったし、サッカーは本当はもっと楽しいものなのではないかと考えたからだ。

僕はサッカー部に入部したが、弟は高校を卒業後は料理の専門学校に通うという目標があったので、3年間バイトをしてお金を貯めていた。はじめて双子がそれぞれ違うことをはじめたのが高校からだ。

部活を選び、授業の科目を選び、寮での生活スタイルを選んだ。中学校までより自分の意思で何かを選択するという経験が圧倒的に増えた。

自分で選択する回数が増えたこの頃から「自分」という存在を意識するようになった。自分の考えを率直に言うようになったし、先生だろうが先輩だろうが自分の意見を伝えるようになった。自分の価値観も見えてきた。そのおかげで人とぶつかる事は増えたが、人それぞれの違いを強く感じるようになった。

中学校までは弟だけとの関係だったので楽だった。弟が考えていることも大体分かるし、嫌いなことや苦手なことも自分のように分かる。ケンカをしても、兄弟なので一緒にいるしかないことを知っているのですぐ仲直りもできた。しかし、高校からの男友達とはそうはいかない。

当時は無意識だったので意識したつもりはないが、今振り返ると、この頃から人をよく観察するようになったのだと思う。

好きなこと、嫌いなこと、話す話題、機嫌が良い悪い、大切にしていることなど無意識に観察して自分の中に蓄えていった。その結果、友達との関係は良好で信頼もされていた。

25歳の今になって振り返ると、「めっちゃ素晴らしい能力持ってるやん」と自分でも思うが、当時は1ミリもこの「人間観察が得意」という能力を意識したことはなかった。足が遅い、体が細い、サッカーが下手など、足らないものばかりに目が向いていた。

唯一だれにも負けないと自信を持っていたのは小学校4年生の頃から体に叩き込まれた「雑用」だった。サッカーに限らず、何かしらの作業をする時などの目配り、気配りには自信があった。周りが期待する以上の雑用を呼吸をするようにこなしていたことから、サッカー部の同級生からは「雑用の神」と呼ばれていた。

信用組合に入社

高校を卒業後は地元の信用組合に入社。父が元働いていた会社でもあり、ここで働けば父が見たものや感じたものと同じものを自分も経験できると思い、社会勉強のつもりでなんとなく入社した。

高校も部活しかしてこず、アルバイト経験は土建業の3日のみだったので体験するもの全てがはじめてで新鮮だった。

信用組合の役割や仕組み、敬語、丁寧語、上司、スナック、飲み会、キャバクラ、酒、ゴルフ、給料、貯金など、全てが新鮮だった。

入社して一番驚いたことは金融機関は土日祝が休みだということ。高校時代は部活で休みなどほとんどなかったので、毎週2連休あると知った時は不思議な気持ちだった。

1年目は毎日新しい経験ができたのでとても新鮮であっと言う間に時間が過ぎていった。持ち前の「人間観察能力」と「雑用能力」を活かして上司や先輩達の信頼も獲得した。この時も自分の能力が活かせているとは意識していなかった。真面目に仕事をしていたらなんかみんな良くしてくれるな〜くらいに思っていた。

仕事にも職場にも慣れてきた5年目くらいから自分の将来を考えるようになった。
「このまま定年まで働きたいのか?」「他にやりたいことがあるのか?」「このまま働き続けて老後も生きていけるのか?」
1年目のような新しい刺激もなく、自分の成長を感じられずにいた僕はどんどん将来のことが不安になった。

6年目になり、はじめての転勤が伝えられた。その転勤先は今の支店よりも小さく、社内での評判もあまり良くない支店だった。

5年間真面目に働いてきて、成績は中間くらいだったが決して悪い方でもなく、それなりに評価ももらっていたのでこの通達には驚きを隠せなかった。そんな気持ちだったが、はじめての転勤、はじめての土地、はじめての一人暮らしなど、今よりも新しい経験ができるので一度頑張ってみようと思い転勤した。

はじめは入社した時のような刺激があり新鮮だったが、3ヶ月後には前と変わらない毎日を過ごしていた。

新たな経験を求めていろんなことを試した。一人飲み歩き、出会い系アプリ、風俗、マラソンクラブ、車でドライブなど。しかしこれらは気分を一瞬まぎらわす程度だった。

そんな中、プログラミングを学び始めたことがきっかけで将来はIT業界で働いてみたいと考えるようになった。金融機関は縮小する一方だがIT業界は拡大しているので、IT人材になれば手に職も付くし今よりも自分の価値が高くなると思ったからだ。

その年の2月に退職する旨を上司に伝え、4月末に高卒から6年1ヶ月勤めた信用組合を退職した。

ニート時代

1年間は自分のためだけに時間を使おうと決めていたので、バイトはせず、貯金、退職金、失業手当を使って一人暮らしを続けながら過ごしていた。

IT人材になろうと考えてはいたが、具体的にどの分野のIT人材になりたいのかを考えていなかった。調べているとweb制作なら独学でもできるし、フリーランスとしても働きやすいという情報を得たので、とりあえずweb制作の分野を勉強して転職することに決めた。

信用組合時代に学んだスクールにもう一度通い、転職に必要なポートフォリオをなんとか完成させた。その時は仕事を辞めて半年が経った11月だった。地元岡山にはweb制作系の求人が少なかったので、関東の求人に50件以上申し込んだ。しかし結果は全て書類審査落ち。僕は焦った。

ちょうどその時に知人から、証券会社のIT人材募集の話を聞いた。とりあえず就職しないと生活ができなくなることを不安に思っていた僕は面接を受けた。しかしこれも受からなかった。

薄々感じていたのだが、僕はweb制作が苦手だったし、それが楽しいともおもしろいとも思っていなかった。社会的にIT人材不足だと言われているから、IT人材になれば自分の価値が上がるものだと信じていた。そこに自分の人生の答えがあるのではないかと思っていた。

ライフコーチングとの出会い

一度自分を見つめ直そうと思い、ストレングスファインダーという自分の資質を調べるwebテストを受け、その結果をストレングスコーチに読み込んでもらった。

ストレングスコーチの読み込みは興味深いものだった。自分が苦手なことや得意なこと、どんなことでやる気が出て、どんなことでやる気が落ちるのかなどを診断結果から教えてくれた。

この時にはじめて「コーチ」という仕事を知ったし、1対1で話を聞いたり、ストレングスファインダーの診断結果を伝えたりする仕事にとても興味が湧いた。

コーチを調べるうちに、コーチングの「答えは自分の中(内側)にある」という言葉に惹かれた。そこからライフコーチングに出会った。

ライフコーチングを学ぶ

「ライフコーチ」で検索するとライフコーチワールドのホームページが一番上に出てきた。そのホームページを読んでいると何か心が惹かれるものがあった。

記事の文章や構成から、どこか人間味があり、優しくて温かい印象を受けた。ここに自分が求めているものがある!そう直感した。

実家に戻り、貯金を全てライフコーチングを学ぶために投資した。

そして、2021年3月3日から林コーチのコーチングを受け始め、4月9日からライフコーチワールドでライフコーチングを学び始めた。

現在は「夢クリエイター」という肩書きで納得した人生を生きたい人のためにライフコーチングを提供している。

このブログで伝えたいこと

このブログでは、「今日が一番夢に近い日!」をモットーに、コーチングのことや、納得した人生を生きるための役に立つコンテンツを発信しています。

僕自身が夢に挑む姿とこのブログを通して、少しでも元気が出たり、あなたの人生がより豊かになるきっかけになれればと思っています。

一度きりの人生、自分が納得した人生を生きられるということ僕は信じています。

あなたが納得した人生を生きられることを心から願っています。